2016年5月23日(月)月齢16.3 / ハウスブレンド

中部東海方面へのツアーが続いている。先週頭から現在。下呂から魚津を経て静岡清水へ。二つの事業下見と本番一つであった。それぞれに現地の方の、町の将来についての熱い想いをお聞きし、その想いを同じうして夢を語り、駒を進めた。三つの町のそれぞれで、土地柄などと言うも憚られる紛れもない身体性に触れ、それは身の引き締まるものでもあり、また、心温まるものでもあった。

何がそれを作っているのか。
風土?気候?習慣?景観?産物?
おそらくはその全てであって、その土地の身体は、脈々としたその町の時間の積み重なりの先っぽに灯っている、炎のようなものである。揺ら揺らとゆらめいて、確かにそこにあるにもかかわらず、形を封じ込めることはできない。
その炎の燃える真近に確かにいた。いました。と、阿比留も私も告げるだけである。しかしそのことの何と重みのあることか。

ツアーの合間に自宅に戻る。大学の授業があり、買い物にもでかけ、ベランダの植木に水をやり、髪を切りに行く。たまには食あたりの目に遭い、飲まず食わずで寝込んだりもする。床に伏し、穴熊のように息を潜めながら、アカペラの曲を何度も何度も聴いた。この曲で踊ってくださる方たちに会いに行くと自分に言い聞かせ。携帯を手から取り落として朦朧としつつ、思い描くのはそのことのみであった。

(茉歩)

写真は、富山湾に時折見える蜃気楼のキャラクター、ミラタン。