2016年3月20日(日)月齢11.0 / 気道に春風

大阪で産まれて、3歳の時に母の実家である徳島に移住した。父親も私も喘息で、転地療養の意味合いも込められていた。

ねらいは功を奏し、空気の澄んだ田舎暮らしの中で、私たち親子はすっかり喘息から解放された。ただ、喘息持ちはそれが収まっても別のアレルギーが出るものらしく、父親は後々小麦アレルギーとなり、私は私でカンカン照りの日に海水浴に行くと発疹が出たりした。成長してからも、夏にハンドバッグを持つと肘の内側が痒くなったり、イヤリングにゴムのクッションが付いていると耳たぶの裏側が痒くなったりした。それで、なんとなくピアスを開けるのが怖くなり、今に至っている。

そんなこんなで、喘息のことなどすっかり忘れていたのに、数年前咳が長引き、あれこれ内科を渡り歩いたあと、呼吸器内科で咳喘息と診断された。親切なお医者さんが熱心に喘息の説明をしてくださる。幼い頃過ぎて、もう思い出すことのできない小児喘息の発作のことを思い出そうとしてみた。父や母には随分心配をかけたことだろう。その喘息はでも、身体の中で永い間眠っていた。いなくなったわけではなかった。

春から夏になったり、冬から春になったり。普段はスケジュール帳とカレンダーの移り変わりで認識している季節の変わり目を、身体の変調で実感することがある。つい最近も、喘息は少しまぶたをもち上げて、居眠りしていた場所からこちらへ飛び降りてきた。

今日鑑賞した演劇作品の中に、喘息という言葉があり、個人的にハッとする。それでなくても、静かな時間の進行の中、咳き込んだりしたらどうしようと思っていたので、作品に集中するのと並行して、別の緊張感に見舞われ続けた。幸い、近くの席の人や演者に迷惑になるような事態にはならなかった。

終演後、蹴上の駅までの緩やかな坂道を歩いてみた。ベビーカーを押して、家族連れで散歩する親子を何組も見かける。うららかな陽気。そういえば今日は誕生日だった。自分が生まれた春の風の中、私は喘息を檻の片隅につないでいる。

(茉歩)