京都の夏は祇園祭の頃が一番暑い、とはよく言ったものだ。ジリジリと攻めてくるような暑気は、万全でない体調にはこたえるものがある。暑さ対策、夏の乗り切り方は皆さんそれぞれにお持ちのことと思うが、格別にマークすべきは乗り物や建物内の冷気と、その冷気による不自然な乾燥ではないだろうか。
仕事の現場にはクーラーがない場所もあり、それはそれで、熱中症のことなどが気にかかるけれど、暑いねえ、ほんとに暑いね、と苦笑ぎみに声をかけ会う空気は悪いものではない。
先週の福島。勿来復興プロジェクト3年目の夏。高校でのワークはインクルーシブで、ダンスはこういうもの、という先入観の無いティーンエイジャーが集う。円座になって、この夏休みの計画を披露し合ったり、向かい合って目の前にいる相手の動きをトレースしたり。話すことと踊ることに、そんなに区別はつけない。ワークの終盤には、二人ずつ踊ってもらう。ふだんシャイで挨拶も小声の少女や少年が、静けさと強さの両方を兼ね備えた姿を見せてくれた。音響機材を操作しつつ、しばしコメントの言葉すら出なくなる。いのちの輝きに触れるとはこういうことだ。
大学講義も全て大詰め。医療系の大学ではグループ創作に取り組んでもらった。9グループが次々にアイデアとこだわりを披露していく最終回。学生たちは全員見たものに短くコメントできるシートを持ちながらの鑑賞。演者でもあり、観客でもある。もしかしたら、ダンスを創って踊るなんて、人生一度きりという人もいるのだろう。自分たちの身体で取り組みつつ、かつ確実に日常からは遠い営み。勇気を持って、「待つことのできる身体」を見せてくれたチームにエールが集まることに希望がある。
美術系の大学では今年演劇論を講義している。受講者の中には実際に演劇活動をしている人もいて、タイミング良く公演を見る機会を得た。京大吉田寮からまだ東へ少し歩いたところにある小さな小屋。知る人ぞ知るスタジオヴァリエだ。しつらえも何もかも手づくりで、共有している美意識や志や、何だろう、それこそ一緒に創作したいといういつわりない気持ちの横溢した80分を、最前列で鑑賞。観客は土砂降りの中駆けつけているのでみんなびしょ濡れだが、お芝居の展開と衣服の乾いていく経過が並走で、集中できたひとときだった。劇団飴宿り。
芝居だのダンスだの、身体をもって、したたかにやっかいな、しかし魅力底知れぬことに打ち込んでくれる若い人がいてくれることは頼もしい。
いやいや、そんな水戸黄門的なことを漏らしている場合ではない。自分だって、セレノグラフィカだって、まだまだ変化の途上であり、これまでの何倍も成長したいと心底願うからだ。
(茉歩)
写真はエメスズキさんと京阪沿線に下見に出かけた時に撮りました。シーズン最後の薔薇です。
注 : 仲道郁代さんとのコラボコンサートの模様はまた後日ご報告いたします。