新型コロナウイルス感染症の影響に伴う京都市文化芸術活動緊急奨励金を受けた活動として「身体のことば~振付家の視点から~」を実施しております。
今回は、芸術に対する理解と関心をお持ちで、社会的弱者に寄り添って仕事をされている3名の方(藤岡保さん:北九州市身体障害者福祉協会アートセンター・センター長、西田尚浩さん:京都市東山青少年活動センター シニアユースワーカー、鈴木章浩さん:二葉むさしが丘学園(東京都小平市)自立支援コーディネーター)とオンラインで対談、その内容を文字起こししてウェブ上に公開します。その第二弾として西田尚浩さんと隅地茉歩の対談の全文を掲載させていただきます。分量は多いですが、読み応えのある充実した内容となっております。ご一読いただけましたら幸いです。
セレノグラフィカとしての創作やワークショップ活動の中で現場を共にし、私たち自身が大いに刺激を受け、視野を広げて頂いたお三方に改めてお話を聞く機会を設けることにしました。コロナ禍に関しても、マスコミで取り上げられている論調とは違う視点と見解をお持ちだろうと思うので、独特の視点ならではのお話を聞き、その充実感を広く市民の方々と共有できればと考えました。
身体表現を専門とする者として、今回のコロナ禍の影響(経験として示唆を受けたことを含む)を考察し、新しい生活様式ということが提案されている中で、今後の創作や活動に生かしていくと同時に、広くその成果を社会に還元できる方法を探し、試していきたいと思っています。
日々ネット上では、膨大な情報や言葉が飛び交っています。新型コロナウイルスの感染に関しても同様です。それらの情報群の利便性や即時性の恩恵に預かりつつも、やがて消費され忘れられかねない言葉とは異なる、時間が経過した後にも残る言葉を掘り起こしておきたいと考えるようになりました。それを、居住地や時間を問わず読める形で公開し、読んでくださる方たちの感覚を刺激し、何かを思考するひとつの材料になれば何よりです。
今回の感染拡大によって起きた生活の変化は身体感覚に対しても大きな変化を迫っています。対談をお願いする3名の方は、就労しづらい若者たちや、障害をお持ちの方々や、親元を離れてクラス子どもたちなど、身体に対して、より繊細さが求められる現場に立っておられる方ばかりです。そういう方々がこの期間に経験され考えられたことをお聞きし、こちらもそれについての感想を述べ、考えを深めてコラムにまとめます。全てウェブ上に公開していく予定ですので、これがきっかけで意見交換の場が作られたり、ネットワークの広がりに繋がっていけば幸いです。
今回の試みは、身体を見る、扱う、感じる専門家である振付家の視点からのことばが、少しでも何かの刺激やきっかけになれば、という試みです。対談は今後不定期にでも継続していく所存です。
隅地茉歩
身体のことば~対談②
西田尚浩 × 隅地茉歩
(全文掲載)
隅地茉歩(以下M):久しぶりですね。
西田尚浩(以下N):そうですね。半年ぶりですね。
M:今日はどうぞよろしくお願いいたします。
N:こちらこそ!
M:早速ですが、今のお仕事に就かれたきっかけはどういうところだったんですか? それを教えていただいてもいいですか?
N:はい。しゃべりますよ~。
M:はい。お願いします!
N:えっとですね。いや、なんかね、ちゃんとしゃべれるようなことではないんですよ…。
M:ぜんぜん大丈夫です。
N:申し訳ないんですけど…えーと、結構学校でずっと勉強していた記憶が残っていて、小学校から高校まできていて、さらに大学まで終わって、何かそこから社会に出るのに少し戸惑いがあったというか…。
M:はいはい。
N:すんなり社会に出れなかった人間なんですよ。
M:ふ~ん。
N:何をしていいかもぜんぜんわからなくて、就職活動も友達はやっていましたけれど、私はやっているようなやっていないような感じで…でずるずるといってしまいまして、とりあえず塾の先生みたいなことをしてたんですよ。
M:はいはい。それは滋賀でですか?
N:いえ、京都でです。
M:へえ~。
N:それで、本当に小さな、そんな大手がやっているようなものではなくて本当に小さな塾だったんですね。個人経営みたいな感じで。そこで先生をしてたんですけど、まあ来年はちゃんと就職しないといけないな、と思ってたんですけど、たまたま大学の同級生で一単位だけ残って卒業できなかった人が5回生をやっていたんですね。
M:はいはいはい。
N:でその人が「西田君なんか就職部で、ユースホステル協会、っていうところ職員募集しているよ」っていうのを教えてくれたんです。
M:ええ。
N:でそれはまあ、私は結構旅好きで一人旅をよくしていたもんですから、大学時代に。
そういうのが生かせるといいんじゃないかっていうことで、同級生は心配して言ってくれたんです。
M:へえ~。
N:それでまあユースホステルなら面白いかなと思って入社試験をを受けたら通っちゃったといいますか、まあ採用されたんですけど、たまたまそこの財団は(京都市宇多野)ユースホステルを運営してるんですけど、青年の家(働く若者の余暇施設で、正式名称は勤労青少年ホーム)も7か所運営してたんですね。で、あなたは半年間はユースホステルで社会に出るための期間として準備してもらいますけど、半年経ったら青年の家に行ってくださいって言われたんですよ。
M:へえ~。
N:で青年の家のことは全然知らなかったですし、じゃあ自分がそこで何ができるのか? はまったくわからず自信もなく…財団に入ったのでまあ、そこに配属になったというのがそもそもの…そんな感じですね。ですのでそんなお話しするような立派なことではないんですけど…。
M:その青年の家というのはどこの青年の家だったんですか?
N:下京です。
M:下京だったんですね~。
N:はい。それで、下京でいろいろありまして、次は西陣に行ったんですね。でその次に中京を建て替えようということで中京に行ったんですが、建て替え中は産業会館のほうにいたんですけど…つまり中京の建て替えにかかわる仕事をしていました。もちろんその頃は今のような仕事をするなんて思ってもみませんでしたし、私にとっては大きなことでした。リニューアルした中京でいろいろな新しい事業を始めないといけないし、いろいろ考えて、演劇やダンスの事業を始めました。そこで出会った人たちが私の人生に大きな影響を与えている。という…まあそんな感じで、今に至る感じですね。
M:当時、中京の建て替えの時は、まだ東山は無かったんですか?
N:いや、ありました。実は私、建て替えに携わる仕事は三回やってるんですけど…。
M:はい。
N:まず、中京の建て替えで、その次に東山で、もう一つは直接は関わっていませんが、組合の関係で宇多野ユースホステルの建て替え、この3つに関わっていました。
M:宇多野ってすこし遠いですよね?
N:はい。それで中京の建て替えの時に、表現をしている人たちとの繋がりがたくさんできたりとか、新事業を始めたりとかして…それが高じまして東山に創造活動室のような小劇場を作ろう、あるいは作ってほしい、というような感じで建て替えの時に創造活動室を作ったという、そんな感じですね。
M:う~ん。でこれの一番最初、私、あの~チラシまだ覚えています。西田さんが、東山をはじめられたときの初のダンスの催しで砂連尾さんと寺田みさこさんとかあと黒子さんとか…何人か、あっ納谷さんなんかも…なんかあの、かわいらしいハガキになっているようなチラシ?
N:はいはい。モノクロームサーカスの方もおられましたね。森さん。
M:あっそうですね。おられましたね。う~ん。あれがもう何年前ですかね?
N:あれは2001年ですね。
M:あそうか~。でもその翌年に東山ダンスフェスティバルをされましたよね?
N:はい。やりました。
M:う~ん。東山ダンスフェスティバルですよね。そうですよね…あれは2002年ですよね。砂連尾さんたちがTOYOTAでタイトル(次代を担う振付家賞とオーディエンス賞)を取られたのが2002年だから、そうですよね…はい、ありがとうございます。
えーと、それであの…あっ! でも、西田さんは東山に戻られる前に伏見にもおられたじゃないですか?
N:ええ。
M:東山→宇多野といってまた東山ってことですか? いや、中京の建て替え→宇多野の建て替え→東山の建て替えで?
N:いえ、まとめますと、最初は宇多野ユースにいて、下京にいって、西陣にいって(いまは建物はないんですけど)それから中京にいって(建て替え)、東山にいって(建て替え)、そのあと南にいって、北にいって、でまた東山に一回戻って、でその次に伏見にいって、で三回目の東山に今戻ってきているって感じですね。
M:あ~なるほど! ありがとうございます!
え~と、まあ私たちも西田さんとは、東山におられるときに学校の先生たち対象のワークショップでご一緒したのがあって、その後、伏見の時に初めて「じぶんみがきダンス」のワークショップ(一回目となる)でご一緒させていただいていますよね?
N:はい。そうです。
M:じぶんみがきダンスはどういうところからやってみようと思い企画されたのですか?
N:ちょっとおこがましいですけれど…まあ砂連尾さんとか寺田さんとか、私がこういったことを始めたときは彼らも若かったですから…あるいは杉山さん(現:NPO法人劇研理事長)とか、劇研のプロデューサーだったんですけれど、土田英生さんとか鈴江俊郎さんとか…なんかみんな若い頃は飯が食えなくて困ってたんですよ、当時。
M:当時ね。う~ん。
N:はい。それでもやっぱり自分のやりたいことは続けていきたいという意思はあったので、何か応援したいと思ったんですよ。でこちらも若者の力を必要としていましたし、そういう方々と一緒に事業展開をしていきたいなあと思っていたので、それでもやっぱり砂連尾さんにしても土田さんにしても公的機関と仕事するのは青年の家が初めてだったんですよね。で私にできることは一緒に事業を考えて立ち上げて実施していただき、それに対しては当然、少ないながらも謝礼を支払う、ということなんですよ。
M:ええ。
N:で、MONOのメンバーのお一人なんかは水道も止められ、ガスも止められ、電話も止められ、で時々連絡がつかなくなったりするんですけど…まあ自分たちのやれることで協力してもらって、それを仕事にしてもらいたい、ということをおこがましくも、その当時は思ったんですよ。
M:う~ん。はいはいはい。
N:で関わっていただいたみなさんに幅広く何かそうやってチャンスというか…そんな形で何か一緒にできないだろうかっという…そんな機会を作っていけたらと思っていたんですど…なかなかその全部には行き渡らないといいますか…まあそんな感じやったんですけど、まあでもなんかどうしても、じぶんみがきダンスのような就労支援の事業は、一度演劇の方で、二口大学さんとかと始めたんですけど…そして次はダンスでやってみたいなという思いがあったんですね。でその時に、あっ、そういえばセレノさんがいた! というのがやっぱりあるんですね。セレノさんとあんまりお仕事をしたことがないなあと思い…それでまあぜひお声がけしてみようと思って、一緒にやってもらえないかなということでお願いしたという感じで。まあもうセレノさんたちは今はぜんぜん飯が食えないとか、ということはもちろんないとは思うんですけれど、このプログラムは若い人よりも経験の豊かなダンサーが…まあ何かそういう感じでご一緒できないかな? という気持ちがあったんです。
M:うわ~、ありがとうございます。
N:ただ、そのセレノさんたちのワークを見ていると、本当に素晴らしい方々だなあというのはよくわかって…。
M:いやいやいや~。
N:なぜもっと早く、もっと若いときに一緒に何かやらなかったのかなという悔しい思いはあります。
M:いや~そんな! なんか恐縮です。ありがとうございます。
N:いえいえ。それで今は本当に感謝してます。なぜかといいますと、やっぱり結構社会とうまく付き合えない人たちとか、何かにつまずいて傷ついている人たちにとっては、ものすごく受容的に受け入れてもらえるような場を作ってもらえる、そんな場を作る力がものすごくあるなということで、もうそれだけで充分だと思っていますんで…あとはそこからどれだけ自分たちの力を発揮できるか、というだけのことなので。だからこそそういう場がないといけない、ということでそれをきちんと作れるダンサーというのは…えーと、なんていうのかな、作品作りが巧みだということももちろんありますけれどそれだけじゃなくて、社会に目を向けていただいて、そういう人たち(就労支援が必要な人たち)にもダンスの力を役立てようとなさるそういう温かい気持ちといいますか…とても大事なことをされてるなということは思っております。
M:前から本当に毎回ご一緒させていただく度にまあ私たちも振り返り(「じぶんみがきダンス」の時の)でも申し上げてますけど、何かその私たちが、「じぶんみがきダンス」に来られる方たちに何かをこう…私たちの方から与えられるようなこと、との感覚ともまたちょっと違っていて、あの~毎回痛感するんですけど…あの方たちとご一緒することによって私たちの方が原点に帰らせていただけたり、大切なことを思い出させてもらえたり、身体を動かしたり踊ったりということが、どれだけ尊いことかとか、それを通して人とつながるということがどれだけかけがえのないことかということを、「じぶんみがきダンス」に行くことによって、私たちの方が大切な何かを貰っているというか、いただいているっていう感覚で…それにはもう阿比留さんも私も微塵の嘘もなく…ほんとに正直なところなんですね。
N:はいはい。
M:だから、いろいろそうやって話をする機会があるときには必ず「じぶんみがきダンス」のことをお話できるようにしてますし、その場で聞いた人たちがやっぱり目を輝かせて
「へえ~」って聞いてくださるので、この企画って本当にすごいなあって思ってるんですね。
N:はい。
M:なんだろ? こう身体を動かすことの普遍性とか、美しさの普遍性みたいなことにもよく胸を打たれるんですけど、こう実際ダンスを生業としてやるっていうような人たちにも見てほしいような…なんですかね…。
N:はいはい。
M:私たちが踊るってことを仕事にしていたり、どうこうせなあかん、そうこうせなあかん、というような中で忘れていったり、或いは変に引っ付けなくてもいいものまで引っ付けてしまっていたりというようなことがあるんだっていうことも、逆照射していただけるというような気がしているんです。
N:はい。
M:で今年もいろいろ気を付けながらではありますけれど(感染に対する対策)、ご一緒できるのは再来月からかな、楽しみにしているんですが、たちまちそのコロナの後にこのような状況になって何か西田さんが東山でお仕事されてて、如実にここが以前と違うことになってきたなあって、そういう何か変化として実感されているようなことはありますか?
N:う~ん。え~と、その前にちょっとだけお話しさせてもらってもいいですか?
M:はい。ぜひぜひ。
N:いまさっき隅地さんがおっしゃったことはですね、土田英生という人が演劇ビギナーズユニットの一年目と二年目の演出をやっていただいたんですけど、彼にその体験談を書いてくださいってお願いしたんですけど、その文章は、自分は好きで演劇をやっているだけなんで、人に何かを教えるってことはそんなに得意ではないかもしれないけども、まして初心者に演劇を教えるなんてやったことがないから、どうしていいかわからなくて、私にもよく相談しながら、或いは杉山さんにもなんかよく相談しながら…ものすごくこう何かいろいろなことを考えながら苦しんでやってたんですよね。ただ、そのやってたことが、じゃあどうやってお芝居のことを初心者に伝えるんだ? 自分は…どういう風にして伝えたらいいのかということを、結局学んだりできたわけで、逆に言うとその期間一生懸命考え苦しんだことは自分を救う結果となった、というようなことを書いてるんですよね。
M:う~~~~ん。なるほどね~。
N:それが財産になって今も僕は芝居を続けています、みたいなことを書いてくれているんです。
M:う~~~ん。
N:そういうことに繋がるなって隅地さんのお言葉にそう思いました。
M:土田さんがそうおっしゃっていることは、ほんとにとてもよくわかります。
N:ええ。それとですね、少し戻りますけれど…。
M:ぜんぜん戻ってください!
N:あの~、じぶんみがきダンスのことについて言いますと、お二人にはとても感謝しているんですけれども、やっぱりじゃれみさ(砂連尾理さんと寺田みさこさんのダンスユニット)のことをよく思い出すんですよ。
M:ええええ。はい。
N:もちろん男女のペアのダンサーですし、初心者対象のダンスワークショップを11年もしていただいたこともあって、なんだかちょっと思い出すんですよね。本当によく思い出すなっていうのがあって…私はそれはとてもうれしいんですけどね。
M:ええええ。はい。ふふふ。
N:そこでちょっと考えるのは…鏡のワーク注1がありますよね?
Mはい、あります。「鏡の中のあなた」、ですね。
N:このワークについて、いろいろと考えることがあって、じゃれ(砂連尾)さんと寺田さんは初心者にダンスを教えるんやからどうやってダンスの形を創っていったらいいのか? っていう創り方をまず教えないとできないからということを随分議論しながら進めた記憶があって…。
M:ええ。
N:その中で、例えばネームダンスをやるとか、尻文字ダンスをやるとか…いろいろやったんですけど、鏡像のワークももちろんあったんですね。で、これの意味をちょっと考えて…どうしても私は考えてしまうというか…で、人が育っていく発達の段階で赤ちゃんがですね、まあ大体半年くらいから3歳くらいの間までに、家の中に絶対にあるであろう鏡と出会うわけですよね。
M:う~ん。
N:で、そうすると例えばチンパンジーなんかは、鏡に映る自分の姿を見て、それが生き物ではないとわかってしまうと、つまり鏡に映っているのが本当の生き物ではないとわかってしまうと全く興味を失ってしまうらしいんですが、人間はずっと興味を示すらしいんですね。
M:へえ~!
N:それは、いったいどういう意味があるのかということを哲学者がいろいろ考えていたんですけど、あるいは精神分析学者なんかが…。
M:はい。
N:やっぱり世界、自分の置かれている身の回りの世界がだんだん分化していく、文節化していくといいますかね…あるいは自分が視覚的な像を持って人から見られているんだということがわかるとか、あるいはそのあと自分は対象化される存在でもあるというか、自他が未分化な状態から自我ができてくるというか、他者がいるぞ、他者というのはどうやら身体というものを持っているぞ、あるいはその自分の身体をコントロールする感覚であるとか、またそれが全然できないこともあるとか限界があるとか…そんなことを学んでいくんではないか? ということを書いているんですね。
M:うんうん。
N:それを、ジャック・ラカン注2という人ですけれども、鏡像段階と言ってますが…。
M:ああ、ラカンなんですね。キョウゾウというのは鏡の像ですね?
N:はい、そうです。鏡像段階の、まあ発達段階の1つのステージ、というようなことをいっているんですけど、そこで今言ったようなことを赤ん坊は獲得しいくのではないかと。
M:ふ~ん。
N:基本的なことをまずその段階で、鏡を通じて獲得していくんじゃないかというようなことを言っているんですね。
M:すごく興味深いですね!
N:それを、メルロ・ポンティっていう…。
M:ああ、モーリス・メルロ=ポンティ注3ですね?
N:はいそうですそうです。「幼児期と社会」っていう論文で、ジャック・ラカンのその鏡像段階の話を取り入れて身体論をいろいろ展開しているんですけど…。
M:はい。
N:まあ、そんなことを思うと、この「じぶんみがきダンス」でやっている(もちろん他のワークでもやっている)鏡像のワークは、もちろんほかの意味もあるのでしょうが、私が思うに、なんかこう鏡像段階を再現しているといいますか、もう一度学び直しているというか…。
M:うんうん。
N:世界っていうのは、世界との関わり、あるいは自分自身はどうなっているのか? とか他者と自分との関係はどうなっているのか? そんなことを本当に自分が3歳までに学んできたようなことをもう一度意識はしてないですけども、そういうワークを通じて再現しながら学び直しているんではないだろうか? というような気持ちになるんですよね。
M:ありがたいことですね。なんかでもそのチンパンジーと赤ちゃんの違いっていうのがものすごく興味深かったです。赤ん坊には実際の生き物ではなくて自分が映されているだけだからそこにそれは自分と全く同じ有機体がそこにいるのではないにも関わらず、自分が動けば動くってことから興味が湧いてきてその場から離れないというか、興味は失せてしまわないというのが人間の証しなわけですよね? それはチンパンジーと違う劇的な感覚平野みたいなものを獲得していく最初の入口、みたいなものですよね?
N:そうですそうです。そういう意味では大変重要なワークだと思っているんです私は。
M:ありがとうございます!
N:はい。
M:でも今の西田さんのお話しを聞いて、一つ思い出したことがあって…それは岐阜県にお住いの校長先生から聞いた話しなんですけど、じぶんみがきダンスではやったかな? 「ダーウィン」ってまだやってないかな? おそらく「じぶんみがきダンス」ではやってないんですけど、とにかくその這い這いしている状態から四つん這いになって、四つん這いから四つ足に、膝を床から浮かして、そして今度は手のひらを膝の上、お腹の上…ていう風に順番に置いていってだんだん高くなっていって最後は飛行機と言って、二本足で走り回るんですけど…そのワークを小学校のアウトリーチで「ダ-ウィン」と名付けて…這い這いのところからだんだん高さが高くなっていって直立2足歩行するっていうまでの、まあ何億年もかかっているであろうその人間への進化の過程を音楽をかけてやるんですけど、なんかそういうことも(私たちは苦し紛れに)こんなことならば子どもが喜んでやってくれるんじゃないかなあということで考えたことがあったんですけど、西田さんがご存じかもしれない…亡くなられた幼児教育の先生で著名な方いらっしゃいませんでしたっけ? どこかの幼稚園を開設した先生なんですけど…でその方も、そういうことが大事、っていうようなことを言っていたらしいんですよ。なんか人間っていうのは、赤ちゃんの時代に這い這いするところから始めて、直立二足歩行するに至るのだけれども、そこで通ったことを大人になってからもう一回体験するというか、先ほど鏡のワークについて西田さんがお話ししてくださったことと、もしかしたら似たような作用があるかもしれないと思いまして。
N:うん。
M:そういう成長段階で体験していることを、感覚でもう一回学び直す、体験し直す…。
N:はいはい。
M:それがやっぱり…人間には必要なのかなって思います。
N:うん。
M:どういったらいいんでしょう? それを書物で読む、ていうこととは違った学び直しということになるのかなあって。
N:その這い這い、で徐々に二足歩行に移っていくうちに、パースペクティブが変化していくんでしょうね。
M:あ、そうですね。
N:で立ち上がると視点も高くなって、また視野が違ってくるっていうのがわかるでしょうし、身体によって限られているっていうのもわかるでしょうね。移動するということは。
で、それが今度は鏡に映ると何かやっぱり対象化する能力っていうか、対象化して見ることができるからっていうのはあるでしょうね。
M:ええ。
N:そういうことで、本当に大事なんですけど。あと鏡像のワークでうまく合わせて動けることもあるけれど動かないときもあるし、あるいはそのリーダー・フォロワーを変えてしまったりするとどちらが動きの進行をコントロールしているかわからない状態になっていくというようなことは本当に大事なことだと思うんですよ、逆に。
M:う~ん。
N:その…人との関係を考えるときにはものすごく大事なことで、或いは世界について考えるときには全然自分一人ではコントロールできないということがいっぱいあるんだということを体験できていないと、本当に全然勘違いした全能感、自分は何でもできるように思ってしまうような…そういう世界に一人で生きているつもりになってしまう…コントロールする能力とその限界を知るということが学べるんではないかというふうに思いますけどね。
M:それも本当に、例えばそういうことを文字情報として知るっていうことと、必ずしも言語に置換されない状態で感覚として体験するっていうことを…ここにすごく意味があるような気がするんですよね。
N:そうです! はい! それと後はダンス事業の活動報告冊子を作ったときに参加者の方々、あるいは関わってくださった方々の文章とか振り返りとかを書いてもらったものをテキストマイニングしたんですけれど、 その時にやっぱりダンスに関わった人たちは、生きる、という言葉がたくさん出てきたということがあって、やはりそのダンスというのは、何かこう人間の根本的な営み、さっきも言いましたその鏡像段階の時に何か発達の中でいろいろ得てきたものとかをいろいろ思い出したりとか学び直したりとか、あるいはどんなふうに生きていくのか? というようなことと何かつながっているというようなことは思いましたね。
M:う~ん。
N:ダンス、というのは大事なことだと思っています。
M:あの~。JCDNの佐東さんが、(私がファシリテーター養成スクールとかに行ったときに)やっぱりナビゲートをするように将来自分がなりたいっていう風に思ってスクールに来ている人たちの前でお話されるときに必ず引用される言葉があって、出典は分からないんですけど…あれいい言葉だよねって思ったのが、「ダンスは言葉の母である」って。誰か哲学者で言った人がいるんですかね?
Nう~~~ん!
M:すごいいい言葉だなあって。うまく説明ができないんですけど…「ダンスは言葉の母である」って言われたら、なるほど、う~ん! って思ったんですよね。
N:誰の言葉かはわからないんですね。
M:私もきちんと調べがついてないんですけど…未だに…。
N:なるほどね~。
M:なんか佐東さんも、誰かの言葉で受け売りですって言われるんですけど、ははは。
N:ははは。
M:なんかでも、まあダンサーは多かれ少なかれそういう感覚を抱いているんだろうなと想像はするのは、別に口で何も言っていなくっても、動くっていうのはやっぱり発語するっていう感覚に非常に近いんですよね。だからあの、鏡ごっこのようにしてやるにしても、やっぱりあれって一つの対話だなあって見ているんですよね。だからそれがその対話の準備、の状態が、こう何回かして慣れていくと少しそこがほぐれてワークショップの休み時間にでも会話になって、実際に雑談してみようかな? ていうようになるところがあったりするのかなあというか。身体の方で先にそういうことを体験すると、実際に会話も、みたいなことですかね。今ちょっとそう思ったりもしたんです。
N:はいはいはい。なるほど。
M:「じぶんみがきダンス」で、誰しも四日間、誰かと何かを一緒にしたら当然親しくはなっていくと思うんですけど、でもその辺は、繊細な方が多いじゃないですか? でもやっぱり初日よりは二日目、三日目超えたくらいからグッと距離感が縮まるといますか…私たちが後で部屋に入った瞬間、それより早く来た人同士がお互いの趣味について会話していたり。最初の日ってシーン…てしてるのになあって…なんか他でダンスのワークショップをすると、踊りたい! 踊るぞ〜ってハナっからこのために来てるんです! ていうような人たちでとても賑やかなんですよね。
N:ああ~!
M:もう初日からいろいろしゃべってはって…ぜんぜん違うなって感じです。
N:ああ、ははは。
M:それでえ~と、新型コロナの感染症が世の中にまあ出てくるっていうことがあって…。
N:はい。
M:たやすく人と人とが近づいたりできないとか、今回のワークショップでも、接触ということはとりあえず避けましょうということですとか、容易に近づくことができないというような…まあそれを制限と言うのかどうかはわからないんですけれど、そういうふうになってから、東山でお仕事されてる中で、何か特にこれはコロナの前に比べたら違ったことやなっていうか、目に付いた変化で、何か印象強く思われていることってありますか? 特筆すべきこととして、これが一番コロナになって大きな変化だと思ったな~というようなことってありますか?
N:う~ん…。
M:あればでぜんぜん…。
N:はいはい。そうですね、まずあの主催事業の演劇の事業は延期にしましたし、障がいのある、知的障がいのある若者のための身体を動かすプログラムですね、これもちょっと開催の目途がたっていない状況で、それで9月からアトリエ活動は始めることになったんですけど、これはまあ知的障がいのある方たちが対象なので、どれだけそのソーシャルディスタンスを守っていけるのか? というのが少し気がかりなんですけれども、それはまあ何とかできるかなっていうことで、かなり人数を減らしてやることにはなったんですけど。
M:はい。
N:それと、創造活動室の方の活動が全く今何もできていないといいますか…4月から8月までたくさん予定が入っていたのですが、すべてキャンセルといいますか何もできない状況ですね。
M:う~ん…。
N:まあ5月には閉館もしてましたからぜんぜんできないのは当たり前なんですけど…。ただ、今は少し9月くらいからはやっぱり映像で配信したいみたいなことを、だからあの~、生ではできないというようなことになってる感じなので、できないことはないとは思うんですけど…いろいろ制限があるんで、まあすこし変容はしてきているなって感じがしますね。だから映像にいっているような気がします。
M:お客さんを入れて通常の公演のようなことをできないということで無観客で録画をしてそれを、まあ同時配信かもしれないですけど、でみなさんに見ていただくっていうことなんですね? 演劇の方やダンスの方が?
N:そうです。一つは本当に少数だけ、つまり自分たちの昔からのお客さんに限って入場ありにして、それを同時配信するというグループと、もう一つは、照明とか美術とかは立て込んでやるんですけど、完全に無観客で配信でやるということになっていますね。あとそれから毎年春に中学校の演劇部の合同公演をやってましたが、まあ中止になったんですが、どうしてもやっぱり先生方が何もできない状況ではいかん、ということで、マスクをしてでも開催させてほしいと、何とかやりたい、みたいな感じで9月と11月に高校と中学校もそうですけど演劇部の合同公演をしようじゃないかというので今準備を進めているとこですね。4月の頃は、これはある照明さんですけれども仕事が全部なくなってしまって、それまで貯めたなけなしの貯金を食い潰していたけども…みたいなことも聞きましたね。
あと持続化給付金を貰って何とか凌いだみたいなことは聞きましたし。
M:う~ん。
N:あとはですね、発表をする場所が、舞台というものが全然ないので、発表する場所もないし目的もなくなり…でも練習はしておきたい、みたいな感じで活動しているダンスのグループだとかはいくつかありますね。
M:う~ん。
N:あとそれと、こう大学生が結構悲惨で、なかなか学外でも自由にやらせてもらえないみたいで、どれだけ
感染症対策ができている場所かとかを届け出を出さないとやってはいけないみたいで許可がでないと。演劇部なんかもいろいろ内部で割れていて、映像に撮って配信してでも自分たちのお芝居を待ってくれている人たちのために届けるべきだと思っている人と、そういうのは演劇ではない、という人と。お客さんに直に観てもらうのが演劇であると、それでもやっぱり楽しみに待っている人に届けたいということで映像で配信するしかないっていう人と…意見が分かれているようです。
M:なるほど。まあ大学は本当に入構もできないっていう…オンラインにするとか配信の形の授業にするとか…7~8割くらいの大学は後期もこの形での授業ですものね。キャンパスライフが送れないっていうね。
N:はい。
M:なんかその、私たちも仕事がたくさん中止になったり延期になったりしたっていうことはもちろん例外ではなくて、もちろん今西田さんが言ってくださったような方たちの気持ちとかはよくわかるんですけど、これがそのいついつまでっていう期限が限られているのだったら、じゃあそれまでの間はこういうふうにして我慢しようだとか、コロナ禍の間はこのような形で別のような感じでして…というふうになりますけど、いつになったらもとに戻るっていう保証がないじゃないですか。
N:はい。
M:そこが結構みなさん悩みどころであの~先ほどのお話ですが、演劇か演劇でないか? それを演劇といえるのか、いえないのか? みたいな論議だって当然あるだろうし、ダンスも配信をされてる方っていうのも多くて、オンラインのダンスフェスティバルやオンラインのダンスの企画とかでダンスがWEBで見れたり、ワークショップをZOOMでしたり…。
N:はいはい。
M:ダンスもいろんなことが可能な限りオンラインにシフトしてっていう流れが大きくなってきたときに、まあそれはあるだろうな、そうならざるを得ないよな、と思ったと同時に、オンラインでは絶対に伝わらないことがあるんだ! ということを、身体に纏わって仕事をする人間たちが最後までそのことは言わないといけないんじゃないか? っていう気がしてたっていうのがあるんですよね。
N:うんうん。
M:あの、オンラインで何でもかんでもできるようにならないんです! ということをやっぱり最後まで言わんと駄目だ! ということなんです。言わんと駄目っていうか、そのスタンスを捨ててはいけないだろうと思いますね…。
N:あの~いいですか?
M:はいどうぞ。
N:私が思いますのはね、やっぱりそのダンスとか演劇とかなんかはテレでは駄目なんですよ。
M:テレ?
N:はい。「テレ」。英語でテレフォンとかテレビジョンとかテレパシーとかの「テレ」ですね。これはまあ遠隔っていうことなんですけれどもやっぱり遠隔では駄目なんですよ。
M:駄目ですよね!
N:はい。でまあテクノロジーで何らかの…なんていうのかな~対面で直接会っているような疑似体験は若干はできるかもとは思いますが、 やっぱりそれは実際に目の前に存在しているといいますか…これはまた哲学の話しで恐縮ですけれども
M:いえいえ。お願いします。
N:ハイデッガー注4という人が人間の存在のことを現存在(Dasein)といっているんですが…Daseinとは普通の意味では「(現実に)そこにある」ということで、現存在という人間の存在様式から存在を解き明かそうとしましたし、やはり「テレ」ではなく、感覚や意識に直接与えられるということがないとダンスとか演劇は駄目だと思うんですよ。
M:はい。私もそう思います。賛成です。
N:で、いくらそれをテクノロジーで補ったところでなかなか限界があるなあと思います。
ただまあ、今の現状では今までのようにすぐには再開できないので、じゃあどうするか? っていうことにはなってはいくとは思うんですけど…ただそこを見失ってしまうと…まあ違ったものも、もちろんできたらいいかもしれないとは思うんですけど、でもやっぱり本来の本質的なところは失っては逆効果、それではいけないのかなって思っているので、いつ収束するかは全くわからないですがそういう意味では私は全然焦っていないといいますか…なるようにしかならないなと思っているんですけれど…ただ、え~と…実際お仕事がなくなって生活できなくなってしまえば…感染を止めるのか経済を回すのか? っていう議論と同じかもしれませんが、やっぱり何らかの変容をしながらでも、食べていかないといけないということはあるので…。
M:ええ。
N:まあその辺はいろいろ工夫はいるかなっとは思うんですけど。
M:うーん。
N:ただやっぱりこの本質という。現にそこにあるっていう感覚、存在しているという感覚がないと、身体として存在しているという感覚がわからないと芸術は成り立たないだろうということは間違いないですよね。
M:ですよね。いま実際に感染を止めるために近くに寄らなかったり、実際に会わないでテレによるコミュニケーションのようなものが、なんていいますかね…うまく言葉にはできないのですけれど…非常事態だからこうなっているんだっていうようなことをよく肝に銘じておくというか…これが主たることではなかった、別物なわけですけども…なんだろう? それがその理屈として理解できないかもしれない人たちに(子どもとか、障がいのある方など)何らの新しい身体に対して強制力が働く習慣を、子どもだったら「お友達に触っちゃだめ!」とか「近づいていって遊んじゃだめ!」みたいなことを、理屈もわかってないのに身体習慣としてある一定の期間でも植え付けらえると。
N:はいはい。
M:身体がそのことに慣らされていっていくことがあるように思えて、それにはやっぱり危惧するものがあるんですね。
N:ええ。
M:そういうものがすっかり自分の身体習慣として馴染んだ後に「さあ、近づいていいよ」って言われたときにどうなるのか? とか。
N:そうですね。だからその~生まれたときに初めからテレビがあった子どもと何歳かの時にテレビが登場して知った子と、あるいはパソコンでもいいですよね…この両者では体験が全然違う可能性がありますよね?
M:はい。あると思います。多分西田さんとか私とかの世代でもうすっかり大人になってから携帯電話やスマフォやSNSと出会っている人と、もう小学校の低学年の時にLINEをしているような子っていうのはやっぱり感覚が違っているんだろうなっていう…。
N:ねえ。本当にそうですよね。
M:明らかに感覚が違っているんだろうなって思いますね。でよくあの「新しい生活様式」とかいうことを言われたりするじゃないですか? 阿比留さんからの質問の一番目にもあるんですが、専門家会議といったようなところからこうフリップが出されて、いくつか項目が書いてあって…。
N:ははは(苦笑)
M:さてみなさん、これからはこういうことになりますからこれを守りましょう! と言われたときに、何か拭えない違和感があり続けているんですね。では「違和感」の正体って何なんだろうなあ、なんで抵抗感を覚えるんだろうなあって考え続けていたんですよ。
N:はいはい。
M:それで、明日実際に西田さんとお話しできるんだわって思っていたら昨日の晩にハッと思いついて…まさにこういうことが理由で私が違和感を感じていたんじゃないかな? と答えがでたので言ってもいですか?
N:もちろん! どうぞ!
M:それはおそらく…「多様性に対して介入されている」という種類の違和感なのではないかと。
N:うん。
M:おそらく生活をどうしていくかっていうのは、変化っていうのは…自然に、それは民族によったり国によったり、時代に依拠したりとか、いろいろな理由はあるとは思うんですけど、一方的に誰かから「これからこういう風にしなさい」というように言われて変わるものである筈はないと思う、という感じなんです。
N:うんうん。
M:本来なら自然に、必要に応じて様式っていうのは変革が図られていくはずなのに、もちろんこのコロナっていう感染症が非常事態だからというのはあるとは思うんですが、本来なら多様でよいはずのところに、その多様性を認めないような介入の仕方をされているように受け取れてしまう違和感のように思えます。
N:はあはあ。
M:どのように暮らすか、どのように人と接するか、どのように語るか、というようなことは、基本的にはその人のやり方でいいはずなのに、ある種の統制が存在することに対する…まあ、抵抗感のようなものを覚えたということじゃないのかなと思いました。だから身体が多様でいいんだ! 踊る、ということの上ではみんながこうならなきゃいけない、みんながこう表現しないといけないということは全くないんだということを大切にしてダンスを通して活動してきているものですから、突然「身体みんなそうならなあかん」と聞こえるような感じですと…それが安全のためとわかっていても…どこかに違和感を覚えると言うか…。
N:なるほど。
M:自分自身の違和感の正体はこれかなと…
N:えーと、質問に対する私の答えもですね、お伝えすると…違和感あり、ですね。
M:ああ~そうですか!
N:それは、やっぱり本質が失われてしまう懸念のようなところがやっぱりひっかかりがあるんですかね。「そうじゃないやろ~」ですね。結局は…。
M:ええ。
N:それはまあ例えていうならば、今隅地さんが仰ったようなことももちろんそうですし、或いはまあこう、おかみが決めてどうこうってことでもないでしょうし…。
M:う~ん。
N:保健衛生的にはいろいろ問題のある発言かもしれませんが、でもあの確かに多様性が失われる恐れはありますよね。
M:そうですね。その何ていうんですかね。新しい生活様式って言われたら…「新しい」っていう言葉を冠でつける場合には、必ずその一方に古いことを否定していくというニュアンスを感じるんですよね。
N:そうですね。たしかに。
M:そうすると、触れ合いがあったりするようなこと全部が、もう過去のことのようにされて、これからはこういう世の中に塗り替えられてしまうんですよっていうことを言われたように感じられる、西田さんが持たれた懸念、それは本質でないところに何かが捻じ曲げれていくことではないか?…そういう感じがしますね。
N:うん。
M:あと、自粛生活の中で、さまざまな文章を読んだのですがその中でも結局、個体としての生に執着しすぎるからそういうことになるのだろうということを書いていた人がいて、例えば死を迎えたとしても、その死の意味なり何なりを次の世代に残していくというような考え方もあるわけで、人間も生き物の一つなんだから、人間だけがこの命を失わないために他のことをこうすべて…うまく言えないんですけど…排除したり、何もかもその方向にシフトさせるように力が介入されるということは、自然の掟、掟?とはズレているような気がする。
N:ははは(笑顔)もちろん感染症対策は取らないよりは僕は取った方がいいとは思うんですけど。
M:取った方がいい! もちろんです!
N:それに従いつつも、何かこう違うぞっていう違和感をずっと持ち続けることが大事やと思うんです、今。
M:だからこれが(違和感が)なくなったら怖いです。
N:違和感を捨ててしまって、それになってしまうとどうも違うような気がして。自分はそうはならないようにしたいですね。
M:ええ。私もまったく同じですね。
N:あとだからそのさっきハイデッガーのことを言いましたけれど、その、もう少し遡ると、カント注5のことも思い出すんですよね。カントもまあいろいろ時世の批判をしていましたけれども、 やはりまず最初は「直感」だというわけですよ。
M:う~ん。
N:悟性でいろいろな概念を作ったり判断はするんだけれどその前に「直感」、視覚で見たもの、耳で聞いたもの、口で味わったもの、鼻で嗅いだもの、つまり「五感」ですね。「五感」に直接与えられていることがないと、そこから始めないときちんとした結論には至らないと言っているんですね。
M:う~ん。
N:直感と訳されてわかりにくいかもしれないですが…要するに五感ですね。五感で感じたものから出発しないと何事もきちんとした判断に至らないということになっているんですね。
M:素晴らしいですね!
N:ええ。そのようなことを思い出しますね。ですからカントの直感とハイデッガーのAnwesenていうんですけど、ドイツ語で「現にここにあること、感官・意識に現れていること」という意味ですけれども…。
M:現存在ということですね。へえ~そうなんですね。
N:そんなことを思い出しますね。
M:あの、去年の12月に進化人類学者の長谷川真理子先生という方とお仕事をご一緒する機会があったんですけど…。
N:はいはいはい。
M:その方が、AI反対論者なんですね。それですごく強く主張されていたのが、セミナーもしてくださり、さらに講演も拝聴したんですけど、その時に仰っていたのが…あ、違った! そのあとに打ち上げの時に席がお隣でその時に聞いたんですけれども、「私、とってもAIに反対なの。なぜかっていうと、あれは知能だけを取り出したものなわけ。」って仰って…。
で「本当の、生身の身体っていうものを通してでないと人間というのは何も学ばない、何も学ばないし先に行けないの」という風に仰ったことを思い出しました。その五感を感じるにはこの身体がないと…何かこう脳みそだけ取り出してどうのこうのっていうことは、不可能なんだっていう、自分の目の黒いうちはずっと言い続けるわよって仰ってましたね。
N:ははは。
M:ははは。
N:いや、ほんとその通りだと思いますね。
M:すごく大事ですよね。だから西田さんからお話を伺いながら思ったんですけど、結局「触れる」っていうのは五感の触感に属することじゃないですか。
N:はい。
M:それを、例えば私たち人間が奪われるということになると全員が匂いのない世界とか音のない世界に行きなさいと言われているのに等しいくらいのことなんだなあっていう…。
N:はいはい。
M:あの~本当に感覚ってきっと平等に重さがあると思うのに何かあの…見たり聞いたりさえできていたら、触れなくっても大丈夫っていうのは、人間にとって大切なものを失いかねないなあと思いますね。
N:う~ん、いや~でも今ちょっと思ったのは、口や目、鼻から入って感覚器官にも影響を及ぼすようなウィルスですよね? このコロナウィルスというのは?
M:すごく不思議ですよね。
N:五感のうちの味覚と嗅覚を奪いますよね?
M:味覚と嗅覚を奪いますよね。
N:なんだか不思議な病気ですね。そう思うと。感染予防によって結果的には触覚にも大きな影響を与える。
M:何かこう…すごく意味深な感じがしますよね。
N:象徴的ですよね。なんだか。
M:象徴的ですし、自分たちウィルスが生き延びようと思うと接触をさせないといけない、人間に、っていう…。
N:ええ。
M:実に、象徴的な…。
N:はい。
M:人間に対して深く何かを問うているという感じがしますね。
N:そうですね。逆にそれによって問わざるを得ないといいますか、いままで当たり前にそのまま過ごしていることをまた改めて深く考えないといけないなっていうことになっていますね。
M:う~ん。なってます。ありがとうございます。
阿比留さん、何かここまでで何かありますか? 西田さんにお尋ねしてみたいこととかがあれば…。
A:あの、自粛生活をしていて、ご自身への身体の影響というか、健康や体調管理とか、もちろん精神面でもいいんですけど、何かそういうことがおありだったのかをお聞きできればと思います。
N:はいはいはい。えーと、そうですね。やっぱり演劇の事業が26年毎年続けて、去年までやりまして、でまあ今年はそれを今の状況ではやっている意味はないなってことで延期にしたんですね。ということで毎年ずっと5月くらいから9月くらいまでやっていたことが全くなくなったという「喪失感」といいますか…。
M:ええええ。
N:それは精神的に大きかったですね。
M:う~ん。
N:あとはまああの、先が見えない感じの閉塞感はありますし、それの影響かどうかはわかりませんが一時一か月半ほど閉館していましたから、若干その在宅勤務なども増えまして、生活のリズムがおかしくなりましたね。
M:うーん。なんかその時に、「じぶんみがきダンス」に来てくださるような方たちってこのような状況が日常なんだ、などと、ふと思うこととかありました?
N:あ~。
M:何かで読んだのですが、例えばお家に引きこもってはる人たちは、外がめちゃめちゃ活発だと「ああ、自分だけ頑張ってないのかな~と思ったりするけれども、外の社会が少し動きを止めたから、ちょっと気が楽になった人もいるというのも聞いたことがあるんですよ。
N:なるほど。
M:報道番組で評論家が言ってたかなんかの聞きかじりなんですけど…それはどう思われますか? それを聞いたときは、そういうこともあるのかって思ったんですけど…。
N:なるほど。う~ん。いや、そういうことは思わなかったんですけども、なんですかね…。
でもあんまり焦りはないといいますか…喪失感と失望感、そして閉塞感はあるんですけれど、でもあんまりこう、まあ焦っちゃいけないと自分でそうしようとしているのかよくわからないですけれど、まあ淡々といいますかこう…いずれ何かこう見えてくるだろうくらいの感じではいたんですけどね。
M:うんうん。
N:そんな感じですかね。
M:まあ、確かにでもこう、どこか腹も据わってきたといいますか…4月5月のあの緊急事態宣言が出た頃って、もう本当に全部仕事が飛びましたし、やっぱり不安になったんですよね、私たちも。すごく不安になって、こう人と人が近づけないとか触れ合うなんてもってのほかみたいな発言の影響が大きくなってきたときに「え~そんなんダンスのワークショップなんてできへんやん!」とか「もうアウトリーチなんて行けるわけないやん!」とか思いましたし。一体どうなっていくんやろうっていう漠然とした不安、不満かな? 不安、ですね。
だけどそれが焦りだったかといわれたら、現在は焦りもないし、なるようにしかならない。なっていくんだ。とは思っているんですけれど…それこそ本当に徐々に復旧してきているものもあるにはあるので…そんな感じですかね。
N:なんか私ももう若くはないのであんまりこれを逆手に取って新しいことを始めてやれ! っていう気概もあまりないのですよね(苦笑)
M:わははは。
N:情けないことに。
M:いやいや。
N:もうちょっと若ければこう…社会の先頭に立って何かやろうということになったかもしれないですけれど(苦笑)。今はそのような気持ちはないといいますか…。
M:ええ。
N:ただこれはかなり痛いところを突かれているので、かなり本質的なところを突かれているので結構難しいなって思いますね。
M:う~ん。そうですよね…。
N:はい。
M:あの、先週の月曜日に五ケ月ぶりに遠征をしてきまして。北九州に行って、その劇場の財団の職員に向けてのインリーチとして、6人を対象にダンスのワークショップをしまして。私たちもおよそ半年ぶりの対面のワークショップをやったんですけど…。
N:ああ!
M:ほんとに厳戒で、事前事後は消毒するし、もちろんマスク着用でダンスワークショップを受けてもらって、で広い部屋に6人て限定して、距離も縮めないで、ということをしたときに、やっぱりどういうやり方が可能かな? っていう…私たちが今までやったことのない、やっていないやり方をやはり開発してみようということになりましたね。「さわってぬけて」とかネオ・フォークダンス(人間いす取りゲームダンス)もできないので…私たちが単発のワークで必ず体験してもらっていたようなメニューを外さないといけない、それはそれでいろいろ考えましたけどね…そうするとそれはまたそれそれで、近づいてもいいって仮に戻ってきた世界のなかでも応用できるかもしれないと思いましたね。
N:はいはい。
M:距離を近づけることができないっていう中で一時間なり一時間半なりのワークをしたとしても、やっぱりみんなで踊った! っていう瞬間みたいなものは味わいたい。共有したいものなんだっていうことは痛感しました。そういう時間もワークの中に作らないと、私たちもワークをしたっていうように感じれないよね、ていう…。
N:うんうん。
M:まあ、まあ盆踊りのような等距離を取ってできるようなことはしましたけども。
N:うんうん。
M:マスクだから本当に笑顔になっているかどうかっていうのがイマイチ察知しにくいという隔靴搔痒の感はありましたけれどね。お顔の全体、表情の全体がわからないっていう…。
N:はいはいはい。
A:あとあの~、こういう状況になってから、若者とかと会う機会というのはおありでしたか?
N:はい。
A:その時にお互いの変化もあるとは思いますが、西田さんの立場(ユースワーカーとして)からこういうことは気を付けよう。みたいなことはお仕事的にありましたか?
職種によっては人との接触などについて厳しいガイドラインのようなものがすでにあったりするじゃないですか?
N:あ~、しばらくはほとんど会えないというか閉館してましたから会ってないですけど…本当にいろいろと気にはなってました。どうやって生活してるんだろうなあとか…当然気にはなりましたね。
A&M:うーん。
N:で、補助金や助成金の情報などをメールでやたら知らせていましたね。それで応募してみよう、それでかろうじて何とか食べていけてますという人なんかもいましたけど…ただ思うのは…バブルが崩壊しましたよね? 1990年前後ですかね。その時から失われた10年とか20年とかいわれて20年は経っているんですけれどやっぱり多くの富が失われて、たくさんの人を雇うことができなくなったことによって、結構いろいろなことが世の中変わってしまって…もちろんその終身雇用制なんかもすぐに崩れましたし、代わりに有期雇用が増えて、アルバイトという人も増えてきてますけれども、このコロナによっておそらくもっと悲惨なことになっていくような、また何かが失われる時代が訪れるんだなというのがちょっと今恐怖ですね。だから今私たちは若い人たちを相手に仕事していますけれど、若者の気持ちがどんなふうになっていくのか? とかあるいは本当に職が見つかるのか? ということとか新規採用する会社がどんどん減っていく中でどうやって就職できるんだろうか? というようなこととか…そうすると本当に生活できない若者が増えて日本は成り立っていくのかなとかその辺はものすごく心配しますね。
A:う~ん。ありがとうございます。
M:あの、なんか産業革命以来の変革が迫られているんだ。という話も確かテレビ番組で見たんですけれど、書店に行ったときに、易学的な本が目について、それで見たのか、2020年が、180年に一回巡ってくる地球の変動期にあたっているとかいうのがあって…。
N:ははは~。
M:もう今はだれも松明で照明つける人がいないじゃないですか? 本当にそのくらい根こそぎ生活が変わるくらいの状態に今瀕しているんだって書いてある本があってその時にも。はっ! そこまでのことなんか! っと思って…。
N:ははは~。
M:地球もええ加減体調も悪いやろうし、地球は地球で勘弁してくれと思っているやろうし、であの~、なんていうんですかね…本当に人口もすごい増えたってこともあるし…なんていうんでしょう、これ自分も含めたことなんですけれども…。
N:はい。
M:長い長い地球の歴史の中での通過点っていうんですか、そういう時期にたまたま生きているっていうことだと思うんですけど…まあだから自分も含めてもし感染して亡くなるようなことがあったとしても、ああ、そういう運命だったんだろうなっていう…。
N:ははは~。
M:なんていうんですかね。あの、何が何でも生き延びなあかん、ていう、それはもちろん年齢的なものもあるかもしれませんけど、だから今十九や二十歳(はたち)だったら、そんなこととんでもない! 西田さんとタッグを組んで社会の先頭に立って何かするぞ~! って鼻息荒かったかもしれませんけど、なんかもう今やもう、その自然な淘汰の在り方の一つの形が、非常に極端かもしれませんけども、このようになっているのかもしれないから、日々の時間を全うして、もし感染して死に至るようなことがあったら、みなさん、これまで本当にお世話になりました! ていう感じではあるんですけどね。
N:はいはい。わかります。ははは。
M:そんなに、何が何でも遮二無二なんていう…。
N:うん。
M:そんなこといっておいて、いざ実際になったらごっつい焦り倒すかもしれないんですけど(苦笑)
N:うんうん(苦笑)
M:なんかそんな感覚がしますね。そういうのが地球の長い歴史の中で何回も巡ってくるんだろうなあって思って、人間の仕業で起きていることがほとんどなんでしょうけれど…もう溶けてはいけない永久凍土が溶けたがために凍土の中から出てきた鹿の死体の中の炭疽菌が付近に拡散して…というようなこととか、あの~~~ヨーロッパの科学者の本の中に、50年後2070年の世界を想定したときに、コロナなんて比でないようないろいろなウィルスが蔓延していて、それに被害を受けることになるっていう、想定される赤や紫に塗られた地域に、日本ももちろん入っているし、まあ自分が50年後生きているってことは私も西田さんも有り得ないないじゃないですか(笑)
N:ははは~はい。
M:今、なんかアウトリーチとかワークショップで触れ合う子どもたちがいいおっちゃんおばちゃんになったときに、どんな世の中になっているんだろうなあ、なるべくならあんまり負のことを残さないように、今の時代をそれはそれで頑張らなあかんなあ~と思うんですよね。
N:はいはいはいはい。
M:まあ、そんな感じ? です。何か西田さんの方からちょっとあったりしますか? これは特別にお話ししておきたいというようなこととかがあれば仰ってください。なければもうそろそろ…。
N:はい。大体はお話しさせていただきましたので特にはないとは思うんですけれど…。
M:はい! では今日は長時間本当にありがとうございました!
N:こちらこそありがとうございました。
M:「じぶんみがきダンス」の件、また打ち合わせに参りますね。
N:はい。お待ちしております。
<終わり>
注1:ダンスや演劇の文脈でよく行われるボディワークの1つで、対面して片方がリーダーとなり、リーダーの動きをフォロワーが真似ていくというもの。
注2:ジャック=マリー=エミール・ラカン(1901~1981)。フランスの哲学者。
注3:モーリス・メルロ=ポンティ(1908~1961)。フランスの哲学者。
注4:マルティン・ハイデッガー(1889~1976)。ドイツの哲学者。
注5:イマヌエル・カント(1724~1804)。ドイツの哲学者。
実施日:2020年8月17日(月)
【対談者プロフィール】
西田 尚浩(にしだ よしひろ)
(公財)京都市ユースサービス協会シニアユースワーカー
1981年、(一財)京都ユースホステル協会に入職以来、京都市の青少年行政の現場で、青少年育成、相談の仕事に携わる。1994年、京都市中京青年の家(現:中央青少年活動センター)で、初心者向けの演劇及びダンスの集団創作プログラムを始めたことで、創造表現活動における集中的なグループ体験が、青少年育成に大きな役割を果たすことに注目。以後、主に東山青少年活動センターで、表現活動への支援、アーティストと学校をつなぐプログラムの開発、障がい者へのダンスプログラム、京都若者サポートステーションと連携した就労支援プログラム(じぶんみがきダンス)などを実施。(この間、2009年、京都市ユースサービス協会に転籍)
photo:Ai Hirano
隅地 茉歩(すみじ まほ)
セレノグラフィカ代表。同志社大学大学院文学研究科修了。日本古典文学の研究者から転身、関西を拠点に国内外で振付家、ダンサーとしての研鑽を積み、1997年阿比留修一とセレノグラフィカを結成、以後代表を務める。
繊細な作品創りと緻密な身体操作を持ち味とし、観客に多様な解釈を誘発する作風で作品を創作。デュエット作品を基軸に、ソロやグループ作品の振付も手がけ、フランス、イギリス、韓国、オーストラリア等のダンスフェスティバルでも作品を上演。
近年は、公演活動にとどまらず、地域の人々が参加する作品を多数創作する他、500を超える教育機関にアウトリーチを行うなど、全国を駆け巡る。TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD2005 にて、グランプリに当たる「次代を担う振付家賞」受賞。京都精華大学非常勤講師。
※本事業は「新型コロナウイルス感染症の影響に伴う京都市⽂化芸術活動緊急奨励⾦」の採択事業です。