京都新聞に掲載されました!(メディア掲載情報)

いつも制作室を使用させていただいています「京都芸術センター」その魅力について、インタビューをしていただいた様子が、2018年10月12日付の京都新聞に掲載されました。
以下からご覧いただけます。

ぜひご一読ください。

https://s.kyoto-np.jp/local/article/20181012000029

京都の中心部で、児童数減少に伴って閉校した学校の跡地を新たな用途で本格的に活用する事業が始まってから今年で20年。1998年に元開智小(下京区)が学校歴史博物館に衣替えして以降、これまでに計12校が福祉施設や市民活動拠点、大学のキャンパスなどに生まれ変わった。明治初期に町衆らが資金を出し合って開設した番組小でもあり、地域住民との連携が広がり、新たな活気が生まれている。
 「歴史あるモダンな建物で活動でき、創造性が高まる」。番組小だった中京区の元明倫小の校舎を生かして2000年4月にオープンした京都芸術センターを長年利用しているダンスグループ「セレノグラフィカ」の阿比留修一さん(47)=大阪市=は喜ぶ。
 同センターは、若手芸術家を支援するため誕生した。1993年に124年の歴史を閉じた明倫小の教室を転用した制作室を12室備え、公募で集まった芸術家に審査を経て無料で開放している。床はフローリングなどに替わり、ダンスや演劇の練習用に大きな鏡も設置されたが、黒板や窓は小学校当時のままだ。
 同センターは「部屋にこもらず、住民との交流などによる効果を地域に波及させてほしい」と、芸術家に市民向けのワークショップ開催を義務付けている。
 「閉校したとはいえ、今も地域住民の心のよりどころ。建物が残されているため当時を懐かしめる」と卒業生でもある同学区自治連合会理事の田村祐一さん(71)は語る。住民らは今も残る講堂で文化祭を楽しみ、グラウンドでは運動会や盆踊りを行っている。
 ただ、学校跡地の活用を巡っては、耐震性や経費面などの理由から校舎を継続的に使うケースは少なく、取り壊し後、跡地に新しい施設を建設するのが大半だ。
 市内で活用が進むのは、上京、中京、下京、東山の4区など街中が中心となっている。昭和後期から郊外への人口流出が進んで児童数が減り、市教育委員会は学校統合を進めた。市教委が教育関係施設として引き続き使っている学校もあるが、市は街中の一等地を有効に利用するため1994年に基本方針を定めた。
 京都国際マンガミュージアム(中京区、元龍池小)など当初は市が整備していたが、厳しい財政状況を受けて2011年には民間による事業化にも道を開いた。市の事業者選定委員会に住民代表も入れるようにするなど、地元の意向を反映させる仕組みを整えた。

2018年10月12日 11時30分配信