2017年5月10日(水)月齢13.6 / 彼は観ていた。角とともに。

4月が過ぎ、ゴールデンウィークも終わり、2017年はどんどん進んで、梅雨も射程圏内に入って来た。新しい年度。たくさんの企画が草案され、実行に移されようとしている。セレノグラフィカも、例年になく、春から出張が相次いだ。

先週には、来月予定している、『音楽がヒラク未来』(全国4館連係事業 芸術監督・監修:仲道郁代)の打ち合わせとリハーサルがあった。私たちはこの4館のうちの実施3館目の北九州芸術劇場に赴き、音楽とダンスの越境的ワークショップとコンサートを行う。仲道さんとはリハをご一緒するのが初めて、にもかかわらず、短時間で集中度の高いものになった。どんなささやかな曖昧さも見逃さない音楽家は時間の背中を気づかないうちに押してくれるのだ。

この3泊の逗留先は東銀座。歌舞伎座にも新橋演舞場にも程近い場所だった。やけにお寿司やさんばかりが目立つなあと思っていたらそれもそのはず、地名は築地。よく話題に上る築地市場からも歩ける距離だった。そんな中でもアッと思ったのはホテルの面している交差点の斜め向かいが築地本願寺だったということ。大学の授業で、1985年にここで行なわれた蜷川幸雄演出の『オイディプス王』の冒頭を記録映像で取り上げたからで、授業内で何分見せるかを検討するのに何度も何度も見たからである(ちなみにこの貴重な資料は知人の照明家さんから拝借したもの)。80年代の空気感の中、薄暮どきに野外に集まった観衆は、これから何が始まるんだろうという期待感であちこちを見渡していた。数人の黒子がまず登場して、布で覆われた円盤をフックにかけ、それがクレーンで空中に吊り上げられるところが開幕。まだうっすらと明るさの残る空に、この上演のための月が昇り、観客はギリシャ悲劇の世界に誘われていった。

30数年経ち、蜷川幸雄も他界し、往時を実際に知る人も減り、境内は参拝に訪れた人影がぽつりぽつり。外国人の観光客の姿も見える。建築はインド様式で、寺という印象とは違っていて本堂内も木の香りはしない。本堂前は神殿に登る石段の構え。ここで平幹二朗が語り、大勢のコロスは駆け巡った。今は勤行の響き以外殆ど音がせず、当時客席になっていたエリアに工事中のような資材が置かれたままでまさに夢の跡。

それでも誰かにここにこなければ体験できないことを届けようとする精神は受け継がれ様相も色も味も変えて形になってはまた変化する。し続ける。演劇に限らず、音楽に限らず。ダンスに限らず。

(茉歩)
写真は築地本願寺本堂手前右側に安置されていた銅像です。周囲に「撮影禁止」の張り紙や立て看板はなかったのですが。今頃になって心配になってきました。彼はおそらく水牛。