2016年8月31日(水)月齢28.3 / 二つの偶然

今日から札幌。市内の琴似にあるコンカリーニョという劇場の10周年に呼んで頂いた。2年前にレジデンスして、「Avec」という作品を創作して以来。そもそもその時は地元の頼もしいダンサーたちが踊ってくれたので、実は自分たちはステージには立っていない。

そして何と、その時の作品に出演してくれた当時中学生や高校生だったダンサーも、今回自らの作品引っさげ登場するらしく、予想もしなかった共演の機会となった。楽しみ極まりない。再会し旧交を温める人も多くなりそうだ。

そんな昂揚感も手伝ってか、家から駅までのタクシーの運転手さんと話が弾んだ。高校生の娘さんをお持ちのお父さん。娘さんの修学旅行の話題に及び、そこから転じて私の郷里が四国の徳島であることにまで話題が広がる。するとどうだろう。その運転手さんの郷里も徳島であることが発覚。阿波ばなしに花が咲いた。

運転手さんのふるさとは素麺の産地美馬郡半田。私は徳島市内の眉山のふもと南二軒屋。運転手さんは阿波踊りの連にも所属しておられるそうで、小学校時代、運動会の時期に、団扇さばきの見事さで、期間限定で女子の人気を集めた幼なじみの、ひとなつっこい笑顔が目に浮かんだ。

浴衣、兵児帯、尻はしょり。白足袋、団扇、豆絞り。よしこののあの独特の弾むリズムが耳に蘇る。私が生まれて初めて化粧をしてもらったのはまだ小学校にも上がる前、女舞いの装束を着せつけてもらった時のことだ。

女舞いの舞手は編笠を被るので、ほぼ口元しか顔の様子がわからない。その口元から響いてくる、ヤットサー、ア、ヤットヤット、という合いの手は、幼女の憧れを誘うには充分な不思議な音程だったように思う。大人になったらあの掛け声をかけながら踊るんだ、と家の中で見よう見まねの阿波踊りを踊ったものである。

(茉歩)